自己肯定感が低いことに「メリットはない」「欠点」と思っていませんか?
私も自己肯定感の低い自分が嫌いだったし、メリットなんてないと思っていました。そして、必死に自分で「自己肯定感の底上げ」をしてきました。
でもね、自己肯定感を積み上げて思うのは「自己肯定感が低いってメリットだった!」ということ。よく、短所と長所は紙一重っていうけど、自己肯定感が低いって実はそんなに「悪いことばかりじゃないな」ってアラフィフの今、思います。
現代の日本は「自己肯定感をあげよう!」「自己肯定感が高い人ができる人間だ!」みたいな風潮があって、自己肯定感が低い人はますます「私ってやっぱりダメ人間だな・・・」って自信を失くしてしまうんじゃないかなって心配なんですよね。
自己肯定感が低いことに悩んでる最中のあなたには、「自己肯定感が低いメリット」は届きにくいかもしれないけれど、「今の自分を受け入れるきっかけ」になったら嬉しいな・・・と思っています。
自己肯定感が低い…メリットなんて感じられなかった頃
あなたはどうして自己肯定感が低くなったか考えたことありますか?
私は物心ついたころにはすでに自己肯定感はゼロでした。小学生の頃から本当に自分に自信がなくて、教室の隅っこでジッと身を潜めて過ごしていました。
コミュ力が高くて明るい父と、専業主婦でお料理上手の母。環境としてはきっと恵まれていたと思います。
些細なことでも自己肯定感は低くなる
その父がすごくスポーツが好きな人だったんですよね。小さい頃からテニスやバドミントン、冬はスキーにスケート・・・他にも色々。きっと、一緒に楽しめたら良い親子関係が築けたんでしょうね。
でも、私は父の期待に応えられませんでした。
父はいわゆるスポ根タイプで一緒に楽しむという感じではなく「なんでできないんだ」「ダラダラするな」と怒られてばかり。運動音痴で、好きでもないスポーツに駆り出され、できないと怒られる・・・父がスポーツを教えようとすればするほど、私はスポーツが嫌いになり、自己肯定感もどんどん下がっていきました。
今、思えばスポーツ以外はそんなに出来の悪い子供でもなかったと思うんですよね。でも、褒められることがほぼなかった。勉強はできたけど、それが親にとっては「普通」だったんでしょうね。特に、「すごいね」とか「がんばったね」って言われた記憶がありません。
自分の経験からも幼少期に褒められることが極端に少なく、怒られることのほうが圧倒的に多いと「私ってダメなんだな」「出来が悪いんだな」って思ってしまうと確信しています。
怒られないように・・・それが第一
普段は明るくて冗談も言う楽しい父なんですが、自分の考えがしっかりあって、それにそぐわないと怒るんですよね。ハキハキとした人だったので、引っ込み思案でもじもじしている私にはそれもプレッシャーでした。スポーツが好きで体格も良かったので、子供の私にしたら本当に「怒った父」が怖くて。
いかに怒らせないか・・・顔色をうかがいながら接していました。そして、「おびえている」と気づかれると、それにも怒るんじゃないか・・・と不安で隠していました。
悟られないようにしていたので、両親は私がこんなにびくびく生活していたとは気づいていないと思います。でも、子供の私にとって「父に怒られる」ことが何よりも恐怖でした。
そして、父への恐怖は男性への恐怖にもなっていきました。今の時代では「暴力」になってしまうと思いますが、本当に怒ると手をあげることもあったんですよね。当時の私は「自分が悪いんだから叩かれてもしかたがない」と思っていましたが、男性=「力が強い」「痛い」「怖い」という思いが強くなってしまいました。小中高と男子と話したことがほとんどなく、そんな私に告白してくれる男子がいても全く受け入れる気持ちになれませんでした。
自分にないものへの憧れ
今思えば「怖い」という気持ちと同じくらい、父への「憧れ」もあったんだと思います。
自分にない「行動力」、自分にない「意志の強さ」、自分にない「明るさ」、自分にない「社交性」、自分にない「自信」・・・憧れていたからこそ、否定されるのが怖かったんだなって大人になって思います。
認めてもらいたい人に、認めてもらえなかった(と思っていた)ことが私の自己肯定感が低い最大の原因かなと思っています。
自己肯定感が低いメリットは本当にあるのか?
自己肯定感が低いとそれがメリットだなんて到底思えません。
「原因である親の元を離れたら自己肯定感が高まるか」と言ったらそんな簡単なものではありませんでした。私は進学で家を出ても、社会人になってもずっと引きずっていました。
友達ができても、自分を好きだと言ってくれる人が何人現れても「素のダメな自分を出したら嫌われる」という不安や恐怖が付き纏って離れないんですよね。どう見られているか、嫌われていないか、不快な思いをさせていないか・・・20代の私はそれが気になって仕方がなかったです。
自己肯定感が低いメリット
ここまで見ると全然いいことない!自己肯定感が低いメリット本当にあるの?って思いますよね。
でもね、私、やっと気づいたんです。
結論から言うと自己肯定感が低い最大のメリットは「マイナスでもスタートできる」こと。
考えてみて欲しいんですけど、子供の頃から自己肯定感が高い人って、「できた」を褒められて「できた」を順調に積み上げてきた人たち。「できた経験」は圧倒的に多いんですけど、「できなかった」経験は少ないと思うんです。
だから「できないところからのスタート」で上手くいかないと、くじけやすいんですよね。自信があるからこそ、それがへしおられたら立ち直れなかったり、立ち直るのに時間がかかるんです。
自己肯定感が低いから他人と比べて凹む!?それ違います!
自己肯定感が低い人は人よりできない「マイナスからのスタート」が当たり前じゃないですか?
私は「人より出来が悪い」と思っていたので、気持ち的に常にマイナスからスタートでした。全部、できない(と思っている)ところからのスタートで、それが当然のようになっています。
よく、『自己肯定感が低いと他人と比べて「私なんか・・・」と思ってしまう。だから、他人と比べないようにしよう!』って聞きますよね?
これ、違います!間違いです!
・・・当てはまる人もいると思うので「半分違う」が正解かもしれません。
他人と比べて凹む人は自己肯定感がある程度ある人です。「自信」や「プライド」、「自分はできる」がどこかにちゃんとある。だから凹む。
私みたいに自己肯定感が底辺からのスタートだと他人と比べるのもおこがましいというか・・・自分が他人と比較できる土俵に立っているという考えがないんです。
でも、それが強みだと最近は思っています。
自己肯定感が低くなるのは挑戦してきたから
そして、自己肯定感が低い人は不器用なりに、できないこと、苦手なことにも挑戦したきた結果「できない」が増えたとも言えます。
それが、自分の意思であるかはさておき、挑戦しないと「失敗」することってないんですよね。できることだけをやってきた人は「自己肯定感」は高いかもしれないけれど、「失敗から学ぶ」「失敗から立ち直る」「失敗を失敗としない努力」の経験は圧倒的に少ないはずです。
これを経験した人って逆境や困難に強いと思うんですよね。
自己肯定感が低い人は「自分は弱い」と思いがちですが、実は強い。強くなれる。
自己肯定感が低いは最大のメリット
自己肯定感がゼロのところからスタートした私には「他人と比べる」という習性がありません。悲しいかな「人より優れていることなんて何もない」と思ってきた結果です。気づかなかっただけで実はすごい才能があったとか、メガネをはずしたら美人だったとか・・・そんな漫画みたいなこともありません。才能だって、容姿だって、頭の良さも、運動神経も、運の良さも特別なものは何もない。
でも、今はそんな自分を受け入れることができています。
だから、自己肯定感が低い人の辛さも、自己肯定感が中途半端で凹む気持ちも、自分を受け入れたどんとこいの状態も全部分かります。
くそみたいなプライドなんていらなし、自信満々じゃなくていい。自己肯定感が低い!大いに結構!
自己肯定感が低い人が心がけることはただひとつ。「どんな自分も受け入れる」
知らないことを知らないと言える、できないことを教えてと言える、困ったときに助けてと言える。「カッコ悪い自分を受け入れる」と自分にも人にも素直になれる。
そして、自分をまっすぐ見れるようになると、他人もまっすぐ見ることができるようになります。自分より輝いているのは、その人の努力の結果だと思えるようになるんですよね。
そこには「憧れ」や「尊敬」の気持ちだけ。その人と比べて凹むことも、「嫉妬」「ねたみ」「ひがみ」のような負の感情もなくなるんです。
不思議でしょう?でも、本当です。
自己肯定感が低い人は悩んできた分、自分を受け入れられると他人にも優しくなれるのかもしれない・・・そうだったらいいな。そうなりたいな。と思っています。
私のつたない文章では伝わらないかもしれないし、ピンとこないかもしれません。
あなたが「自己肯定感が低い」ことがメリットだと気づくのは、やっぱり弱くてカッコ悪い自分を受け入れた時なのかもしれません。
あなたも自分を受け入れることができますように・・・そして「自己肯定感が低くて良かったかも」って笑える日が来ますように。